日本は君の思いのままにはならないよ。日本人はようやく問題の核心にたどりついたんだ。


アンガージュマン。日本は君の思いのままにはならないよ。



日本人はようやく問題の核心にたどりついたんだ。

日本国憲法典は世界的、歴史的にも類を見ない素晴らしい高文脈を持つ法典だが、憲法を代表する唯一の果実の存在などではなく、憲法におけるひとつの種のそれにすぎないんだ。

私たちのなすべきことは、国家や社会の思想核としての、人権、環境、共同体、公共圏についてのオルタナティヴな具体的形象、つまり憲法のそれの議論を加速するべきなんだ。

現在の唯一のオルタナティヴは、構成する力能のそれなんだ。抽象の脱構築、その受容、その基本的な特異性への還元、あるいはその再構築、その傾向、新たな世界を積極的に構築する作品。

私たちは国家や体制などとは乖離した個人主義という位置に心地よくおさまっていたんだ。しかし、テロや自然災害、貧困格差、そして、君たちの登場さ。私たちは自分が社会的な存在であることを理解した。私たちは世界の重みと、他の人間すべてに対する私の絆、他の人間すべての私に対する絆などを自覚するためには、君たちをとおして私自身の自由の否定にぶつかる必要があったんだ。

人間は世界-内-存在として、「事物や他者の存在する世界(社会)」の中に投げ出されており、積極的にせよ消極的にせよ、そのような世界(社会)と何らかの仕方で関わりながら存在する。人間が存在するということは、好むか否かに関わりなく、何らかの立場を持ってそのような世界と関わって生きるということなのである。

「たとえ石ころのように黙ってじっとしていても、私たちの受身の態度そのものが、すでに一つの行動なんだ。

そして、自己の存在仕方についての全面的な責任者である人間は、社会に対する自らの関わり方、自らのとる社会的立場に対して責任がある。このような事実を認識し、自覚的に自らの立場決定をおこない、社会へと参加していくこと、そしてこの立場決定のありかたにはっきり責任をとっていくこと、これがアンガジュマン(社会参加)なんだ。

ぼくたちはようやく問題の核心にたどりついたんだ。

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