コンセクエンスーHECPの『家』の芸術❶

芸術家は学者ではない。つまり、『議論』は行わない。私たちにとっての表象は『知識』などではなく『帰結』なのである。

HECPの『家』の芸術は知覚で完結するものではなく,それが繰り返し解釈されることによって浮かび上がる認識のまとまりであり、いわば未知の総体としてアプリオリに前提されているのである。スタティックな、シンボル的な、モニュメンタルな造形物として捉えるのをやめ、人間の動的なアクションのなかで考え、世界中で群発的に圧倒的なパラダイムシフトを呼び起こすことにある。

『世界を変える家ーバウヒュッテ』ー

1 『蒲生三丁目の家』

2 『香里園の家』

3 『カダモの家』

4 『十三東の家』

5 『本山北の家』

『世界を変える家』

HECPという〝家〟は基本的には貸席業つまり、私的領域と公的領域の接合点で、自宅公共化ー「シェアリングコミュニティ」だ。普段から食材を置いているわけではない。「客が来ると、出来るもの作るが、料理は予約に応じて近隣のお店や住民から取り寄せるのが基本である。

主客一体「もてなさず」の面からも「一見さんお断り」のシステムが機能している。言い換えればこのシステムは実質的には「会員制」の仕組みとも言える。ただ、会員制と言っても明確な規約やルールが存在しているわけではない。言わば目に見えない「会員制」。たとえ規約がないと言っても、そこを訪れる多くの客が快適に過ごせるよう、一座建立の暗黙の約束事を理解し、良識のあるマナーをわきまえた人間でなければ、〝家〟には出入りすることはできない。

もちろん、これはお金持ちかどうかということは関係なく、高額な入会金や会費でもって顧客を選別する、いわゆる「富裕層」向けの会員制クラブとは趣旨が全く異なる。

また、“家”は単に貸席業というだけではなく、地区におけるあらゆるエンターテインメントのエージェント的な役割を果たしている。

このように「一見さんお断り」は、〝家〟に遊びに来るお客が気持ちよく楽しく過ごせるように本当のおもてなしをするためには必要なシステムと言えるのだ。かつそのシステムを経済合理的に維持できるようにしている仕組みなのである。〝家〟には食事だけではなくて、雑貨、美術やフォーラムといった様々な文化が息づくところであり、その文化を〝家〟という舞台で主客が一体となって作っている。

また、家にとっては家主のプライバシーと近隣との関係が極めて重要であり、その時間性や空間性の引き算がHECPの『家』におけるパブリックスペースだと言えるのである。

『世界を変える客』

「朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。」

「元来、客の身なれば好き嫌いは申されまじ。」

HECPの『家』に共通するのは、客側に入店に対する強い意志が必要である。つまり、コンビニのようにお気軽に来てもらっては困る。人生は一期一会であり、一つ一つの出会いには意味がある。

HECPの「家」では、「最初の客」が重要な役割を担ってくる。この新しいフェスティバルでは、HECPという理念の共有により、「客」と「店」の境界をとりのぞき、地区が自己表現をするのを手助けする。そして、「客」も作品を作り上げる重要な役割を担うのである。

HECPでは「最初の客」はみんなにどのように利用すればいいか示す役割がある。「最初の客」はこの物語を共に発展させていく重要なフォロワーだ。これは、実はリーダーシップの一形態なのである。こんな風に目立つだけでも勇気がいり、最初のフォロワーの存在が1人のバカをリーダーへと変えるのである。そして、2人目のフォロワーが現れ、今や1人のバカでも2人のバカでもなく、2人目 3人というのは集団であり 集団というのは周辺地域でニュースになり、運動が公のものになっていく。リーダーだけでなく 最初のフォロワーの役割が重要となる。新たな客たちは最初のフォロワーを真似るものである。さらに2人が加わり すぐ後に3人が加わると、今や勢いが付いてくる。臨界点に達し1つの運動になってくる。多くの人が加わるほど リスクは小さくなり、どうしようか決めかねていた人達も 今や加わらない理由はなくなるのである 。もう目立つことなく、笑われることもない。 急げばコア集団に入れるかもしれない。やがて、みんな集団に入ろうとする。 加わらない方がかえってバカにされるからだ。 これがHECPの運動の起こし方なのである。

ソーシャル・ファブリック(社会骨格)というインスタレーションアート

平面では表せない多層に跨る立体的な多様な要素を、多元連立方程式として解きほぐし再構築して形象するのが芸術である。

重要なのは短期的な関係ではなく、長期的な関係性を継続的に構築することだ。短期で利益を上げる人は自分のことしか考えない。長期で関係性を維持するには、古くから近江商人の心得とされる『三方よし』が望ましい。売り手、買い手、世間のすべてが満足することを目指すわけである。

HECPの家では、目の前に商品があるのに売ってくれない場合がある。随分気位が高いと批判を受けるが、しかし、実は次に来るなじみ客のために在庫を切らさない知恵なのである。マナーやモラルに厳格なのも、客との長期関係性を重視しているから、そうした運営を行うのだ。

一般的には客は店を選べる。しかし店は”お客さまは神様です“と教わり、誰にでも同じサービスをする。それを否定しないが、HECPの家ではすべての客を満足させる必要はない。日本ではあまりお目にかかることはないが、海外では店が客を選ぶことはごく普通のことなのである。

それは株主や従業員についても、同じことがいえる。株主も従業員も、その企業の理念を理解し、共鳴する人が集まっている。これが大事なことなのである。

もちろん、利益を目的とするのではなく。地域に根ざした共同体という意識に立ち、顧客も株主も従業員も、同じ目的を目指す。これができた時に長期関係性が成り立つ。

海外の企業と日本企業の違いは、こうした長期関係性の有無だろうと思う。企業はまず、自社の事業の価値観をしっかり決め、そのために技術を磨き、社会に訴えていく。利益は、その後についてくると考えるべきだなのである。

『十三東の家』

世界に先駆けて入店法が実施された『家』である。会員制でもなく、高級レストランでもない、もちろんドレスコードなどもない。モダンアートなインテリアの空間で普通にお酒や料理が楽しめる「家」である。一般の「客」が、来訪時にチャイムを鳴らし入店の意志とあいさつを行い、オートロックを解除を確認してから部屋に向かうスタイルだ。1995〜2005年の10年間インスタレーションアートとして継続的に運営された高層アパートメントの『家』である。一見の一般の客に対しては“JUSTICE”という、ユニークなサービスコンセプトがある。1995年から始まった、お客様のマナーレベルに応じて公正にサービス。マナーレベルの高いスマートなお客のみに客層をセグメントし、家と同じように自由にくつろいでもらいたいという考え方だ。また、料金面においてもご予約やノースモーキングのお客に関しては精算時においてのディスカウント、逆に、携帯電話の使用や大声での談笑などの他のお客や近隣住民ご迷惑になる行為は全て「オプションチャージ」を設けている。また、あまりにもマナーレベルの低い客に対しては今後のご利用を断る場合もあるが、客はその人柄やマナー以外ー年令・性別・国籍・業界・地位等による差別を受けることはなく反対に、それらによる特典的サービスもない。

「十三東の家」の特色はオープンソースであるということがいえる。誰しもが自由に「参加」することが出来、プロジェクトを発展させていくことが可能なのだ。客は近隣や知人だけではなく、その空間性に興味を持った国内外の有名アーチスト、学者や社会学やジャーナリズムが多く来訪した。有名なタレントや文化人、大企業の社長や大学の教授だからといって全く特別扱いされることはなく、逆にその無名性が心地よい時間を過ごせることが結果的にリピートに繋がっていったのである。概して、本物のアーチストはマナーやモラルもよく、たいへん謙虚で真摯な対応だ。しかし、広告代理店などの一般的に「業界」と呼ばれる層は特権意識が強く非常に厄介だ。過去にもマスコミメディアがドキュメントを作りたいといってきて、私たちに協力しているので参加費は払いたくないと言ってきたが、私たちは彼らの参加を断りました。このプロジェクトの触媒性を保つためには、内部に特権的な人間を作ってはいけないという考え方によるものだ。

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