〝ヘシピスト宣言〟


ヘシピスト(: hecpist)は、人権・環境・共同体・公共おける伝統的な概念に権利の拡張論者ではなく、人としてそれぞれに対し、どのような関係にあるべきかという再構築を唱え、実践的芸術主義により、計算合理性を超えて、普遍的な「圧倒的正義」の具体的表象を目指す”hecpism= へシピズム"を主張する人の事である。


〝HECPISM〟ヘシピズムによるアロマな「共同体」。


アロマとは「芸術」における気品であり、妙趣である。HECPの実践的芸術主義による家と地区の「共同体」の表象には強烈な「芳香」がある。つまり、「匂い」だ。HECPには、「人権」、「環境」、「共同」、「公共」の強烈な匂いがする。高文脈な言葉や規則などは没機能である。この「芳香」こそが、テロや外敵から身を守り、国境や地理的概念を超えた「混群」と呼ばれる「パブリックネス」で「ダイバーシティ」なリージョンを形成する。


『なぜ、有徳な生活を送るために都市国家に住まなければならないのだろうか。なぜ、健全な道徳の原理や自宅や哲学の授業や倫理学についての書物で学び、必要に応じて使うことができないのだろうか。アリストテレスはそういうやり方では美徳は身につかないと述べる。「道徳的な意味での美徳は習慣の結果として生まれる。」実践することによって覚えられる類のものなのだ。「美徳を身につける第一歩は、実行することだ。それは技能を身につけるのと同じことである。」


習うより慣れよ


『この点で、美徳を身につけるのは笛の吹き方を習得するのと似ている。本を読んだり講義を聞いたりして楽器の演奏を覚える人はいない。練習しなくてはいけない。熟練した音楽家の演奏を聴き、耳から演奏法を学ぶのも有効だ。ヴァイオリンを奏でずにヴァイオリニストにはなれない。美徳も同じだ。「われわれは正しい行動をすることで正しくなり、節度ある行動をすることで節度を身につける、勇敢な行動をすることで勇敢になる。」

都市国家の法は善い習慣を植えつけ、善い人格を養い、われわれを市民道徳へと向かわせる。次に市民として生活することよって、ほかの生き方をしていたのでは眠ったままの、討議する力と実践的な知恵を磨くことができる。これは、自宅にいたままでは不可能である。傍観者の立場で、選択を迫られたらどんな政策を支持すべきかを考えることはできる。だが、それは、重要な活動に参加してコミュニティー全体の運命に責任を負うのとは違う。討議に長けるには、土俵に上がり、選択肢を秤にかけ、自分の言い分を主張し、支配し、支配される必要がある。要するに、市民でなければならないのだ。』


「社会のなかには、詩によってしか解決できないものがある」


これは、ロシアのフォルマリスト、ウラジミール・マヤコフスキーの言葉だ。社会には、詩でしか解決できないものが存在する、と彼は考えたのである。西欧の近代美術史だけをひもといても、芸術と社会デザインの統合を図ったアーツ&クラフツから、革命と連動したロシア・アヴァンギャルド 、人間の無意識の解放をとなえたシュルレアリスム、そして日常とアートを結びつけたフルクサスや状況主義まで、アートは社会に巣食う停滞した価値観や、抑圧的なシステムの転覆や撩乱を企てる革命だった。これらは単に政治革命ではなく、人間の無意識や文化に働きかける〈詩のような爆弾〉であり、〈壮大な戦場〉だったのである。 実践的芸術主義とは、社会変革の表象を目指すリファレンダムな直接派アートだ。しかし「爆弾」は作らない。私たちが作るのは「芳香」だ。そして、それはラベンダーのような優雅な「芳香」ではない、蓋を開けると周囲の人間が悶絶すると言われる、世界一臭いにしんの油漬けの缶詰〝シュールストレミング=Surströmming〟であり、「あら、まあ、いい香り」などと言われたら、それはわれわれの負けである。

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