JAPAN’S BIGGEST CHALLENGE 「個の逆転」ー”超高齢化社会”へ挑戦。


「私たちは複雑な時代に生きている。」



「政治家」や学者、専門家の常套句であり、ドラマなどでよく使われるたいへん便利な言葉である。

「しかし、本当にそうだろうか?」

日本社会が抱える様々な課題の中核に「高齢化問題」があり、年金医療・社会保障の問題だけでなく、日本の防衛や財政再建、震災復興に至るまで日本が抱えるほとんどのビッグイシューに関連する。この問題に道筋が立たなければ、議論は全て絵に描いた餅だ。「高齢化問題」は学者や専門家の〝レトリック〟による、少子化対策やましてや、経済や財務指数のテクニカルな問題ではなく、「高齢化問題」の解決は高齢者が働くことによってしか、他に解決法はなく、それ以上でもそれ以下でもない。政治家、学者や専門家のもっともらしい〝レトリック〟は、自らの権益を守るために、マッチポンプのように問題を複雑化していることに他ならないのである。

実は多くの問題の解決は極めてシンプルなのである。現在の「政治家」たちが、確かにこのまま、内側から経済・社会問題をさらに切り刻んで話を狭めていっても、最後はこのフレーズに戻ってしまう。結局、何も決められず、抽象的なスローガンばかりで具体的な表象を描けないという、新たな〝パラドックス〟の袋小路に迷いこんでしまっている。



「独人期」と呼ばれる60歳から70歳は人生の〝プラチナテンイヤー〟だ。


会社や子育てのトンネルから解放され、自分が本当にやりたかったことは何なのか問いかける時期が、この独人期にさしかかる人々だ。それまでは、あまりの忙しさに考える余裕もなかったに違いない。独人期は、時間を取りもどす季節だ。独人期は、人生におけるジャンプであり、離陸の時期でもある。これまで、たくわえてきた体力、気力、経験、キャリア、能力、センスなど自分が磨いてきたものを土台にしてスタンドアップしなければならない。

高齢者起業においては、既存のマーケットと競合しないオルタナティブな市場での起業による解決が合理的であると言える。高齢者の定年延長などの政策は現役世代へ新たな負担を強いることになり、むしろ、50歳定年の選択を可能にする受け皿として、高齢者や障がい者の社会参加の理念を共有する倫理消費者によるアファーマティブな市場社会の形成が急がれる。 公益を目的としたブランドにおける商品サービスの開発の最大の目的とは、高齢者の啓蒙とモチベーションによる、「労働観」のドラスティックな個の変革である。既存の市場社会と共存共栄を目的とした、高齢者にとっての「スタートアップ地区」の機能を果たしていくことが重要になってくるである。



高齢者による「支えられる側」から「支える側」への〝イノベーション〟は、状況を劇的に変化させる、未来に向けての「捨て石」である。


現在、日本の高齢者(65歳以上)人口は2700万人に達し、4人で1人の高齢者を支えている。日本は20年後に全体の約3分の1が高齢者になると予測されているほどの、世界一の“高齢者大国”である。日本は、今や「課題先進国」である。少子高齢化をはじめ、食糧自給率、原発・環境問題、地域間格差など、様々な難しい問題を抱えている。政府は65歳以上を一律に「支えられる人」とする現在の定義を改め、意欲と能力のある高齢者の就労を支援するなど『人生90年時代』を前提にした仕組みへの転換」を打ち出しただ。この世代の人たちを、年金や福祉など「支えられる側」から「支える側」へと変えていかなければ、超高齢社会の持続は困難になる。高齢者による「支えられる側」から「支える側」へのイノベーションは、状況を劇的に変化させる未来に向けての「捨て石」である。未来社会創成という自らのやりがいや生きがいだけでなく、社会の「労働観」や「障害観」やそれを取り巻くユニバーサルなサービスやコミュニティの在り方、さらに市場主義偏重の人と人の関係性や公益経済社会への〝パラダイムシフト〟に向けての価値観や関係性への変革という点にある。無名の石(囲碁の駒)は、突然現れる。突発的な権力行使によって、状況を劇的に変化させることが出来るのだ。無名の高齢者には、誰にもしばられない、私利私欲を離れた、そして「深謀遠慮」としてのわがままであり、そして、何ものも恐れることのないラジカル(決死)がある。これこそが〝無名の高齢者〟の本領なのである。

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