〝ガモウ・ジャポニズモ〟という共同性。過去(=記憶)を未来(=願望)に投企する時間制が存在する。




蒲生三丁目の「家」は、Japan's Biggest Challengeの解決に向けての

小さな「一策」である。


しかし、その「一策」は、やがて群発的に発生し、日本や世界が抱える、全ての課題を一気に解決するのである。それは、The regionが、オルタナティブな「白紙」の未来を形象するからだ。最初の一歩は確かに困難ではあるが、最初に「白紙」を作れば、そのあとは変革ではなく創造すればいいだけだ。「芸術」とはそういうものなのである。


理性的で実証主義的な思想の「射程の狭さ」への対抗策としてのロマン主義思想を受け継いだ〝サウドジズモ〟 昭和レトロ論争の二項対立


経済的効率と過去の歴史や芸術や文化を切り分けるのではなく、昭和30年代を広く〝遺構〟として心に残し、自分のアイデンティティーにその傷を統合してゆくことこそが〝サウダーデ〟の原点である。情緒もまた意識現象であるならば、情緒とは、ある対象への態度や価値づけの意識ということになる。サウダーデという情緒は、本来、個人の願望と記憶を基本的な構成要素とする意識現象であり、この情緒を有する者は過去の記憶のなかに残る人や物、時間や空間を現在に取り戻したいとする願いが存在する。



蒲生三丁目の「家」ー 〝ガモウ・ジャポニズモ〟という共同性。過去(=記憶)を未来(=願望)に投企する時間制が存在する。


地区内の小さな住居、路地に様々なアートがきめ細かく並べてられている。ちっぽけな住居や都市空間でも、創意工夫で美しいギャラリーやミュージアムになる、というわけだ。

この住居ギャラリーや路地裏アートは、高密度に暮らす〝ガモウ〟ならではの展示手法。身の回りの小さなところからアートを育てていくこの伝統技術を深め、地区全体に広げていくことが重要である。

小さなアートを路地、玄関口、窓際、ベランダなどに持ち込み、できればご近所で相談しならが通りすべてが美しく調和のとれたデザインとなるように工夫し、地区全体のアート化につなげていく。開発により都市をアート化し、アートを増やすことはすばらしいことだ。

しかし、〝ガモウ〟には〝ガモウ〟のやり方がある。小さなアートを慈しみ、それらを近隣で分けて、どんどん増やしていく。その過程で、近隣とのコミュニティが密になり、町にコミュニケーションが広がり、スマイルが増えていく。

安全で安心できる住みよい美しい町が育てられていく。これが本来のアートによるリ・コンシャスのまちづくりの目的であり、ガモウ的なThe regionの目標と言える。



蒲生三丁目の「家」ー

蒲生三丁目の夕日 実行委員会



蒲生三丁目には、コンビニもないし、ファミレスやファストフードもない。戦火をくぐり抜けた家屋長屋路地風景街並み風景には侘び寂びや鄙びた街並み郷愁を憶える不思議な空気感が存在する。

古い街道から路地階段を下れば、小さなうらぶれた公園がある。坂から自転車で駆け抜ける2台の親子の自転車が駆け下りる。坂の上には貨物線の踏み切り越しに、見上げたOBPのビル並み上に広がった空。

古い街道から路地階段を下れば、小さなうらぶれた公園がある。坂から自転車で駆け抜ける2台の親子の自転車が駆け下りる。坂の上には貨物線の踏み切り越しに、見上げたOBPのビル並み上に広がった空。坂の上には貨物線の踏み切り越しに、見上げたOBPのビル並み上に広がった空。下校途中の子供たちは踏切横の地蔵尊の前で屈託のない会話をしながら、電車の通過を待っている。

〝蒲生三丁目〟の空は、ただ単に澄んだ青ではなく、少しではあるが確かにマゼンタが混ざっていた。都会の空色でもない、田舎とは明らかに違う青に、時間が止まっているような感覚を強く意識させられる。戦災を潜り抜けてきた〝蒲生三丁目〟の街並みや空には、きっと<サウダーデ>が滲んでいる。

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