二世帯社会という多層制度、
六十歳を超えると大きな断層が現れる。
高齢者と現役世代が混在するリアル社会(第一層)の制度やスキームの変革を実現するためには膨大なエネルギーを必要とする。様々な利害が交錯し、多様であると同時に多元であるからだ。まずは、リージョン(第二層)で新たな理念を掲げ、ターゲットをセグメントすることから始める。
リージョンとは、簡素な生活を理念に掲げる未来のあるべき社会のカタチである。人生において六十歳を超えると、「第二の人生」「老後」などの、人生の節目として大きな断層が目の前に現れる。
六十歳になると、今までの権威や紙幣を喜捨して、現役社会との糸を断ち切り、未来へと落下する。その先にあるものは、現役社会の市場原理による競争社会ではなく、簡素な生活オルタナティブな新しい社会の場である。その場 は現代の姥捨山でもなければユートピアでもない。現役社会と自由に行き来できるサティヤーグラハとノブレス・オブリージュのアファーマティブアクションによる二世帯社会である。
サティヤーグラハ(真理把持)は、物事の真理を究めようとしても、常に多面的な真理のうちの一部を理解しているに過ぎないとの前提のもとに、真理を究めるためには、利己的な態度を捨て、自分と他者とを隔てる考えを捨てることが必要であると説いている。また、ノブレス・オブリージュとは本来「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指し、サティア・グラハの思想と表裏一体を成すものである。
高齢者が次の社会へのランディングを拒み
現役社会に浮遊している。
アンチエイジングという厚化粧と紙幣を詰めたリュックを背負い現役社会の蜘蛛の糸にぶら下がり浮遊している高齢者たち。
六十歳になると自らが、現役社会との糸を断ち切り、未来へ落下する。現在とは違う 場 は簡素な生活オルタナティブな新しい社会の場である。現役世代の社会と違うのは高齢者の生産の場がある。老いは苦難でも個性でもなく意欲さえあれば、誰でも同じように普通に働くことができるのだ。断層を超え新しい場 における生活は、生きる辛さや苦しさなど多少であれそのような試練をくぐらんと歩を踏み出すことにほかならない。この恵まれた現役世代の生活、誰が好き好んでそんな七難八苦を身に引き受けるであろうか。
しかし、好むと好まずにかかわらず、高齢者の多くが、そちらへ歩みだすべく、強制されてゆく事態が到来している。
高齢者はこうした自分らの甘えに気づき、未だ何ものでもない自分に気づいて、何者かへ自分を作り上げていく気の長い歩みへと踏み出していく。いわば、これまで自らが上げ底されていたことに気づき、いったん堕落することになって本当の地面に足をつけるところからじっくり再出発する。
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