BIHS『二世帯社会』 バイラテラル・ホームソサエティー(4)

高齢者には社会人期の現役世代にはない、経験・知識・技能から培った「長年のあれ」という解析化できない独特のパワーを備え持っている。

高齢者の扱いが社会によって異なる原因は 主に3つ存在する。違いが生じるのは高齢者がどの位有用かということとその社会の価値観によるのである。まず、「高齢者」の有用性とは 役に立つ作業に従事できるということだ。 簡素な社会で高齢者が役立つのは生産ができる場合である。また、高齢者が孫の面倒や教育を見られれば 社会とって有用だ。 孫の親にあたる―子供達の世代が孫のために自由に仕事に行けるからである。

高齢者の価値は他にもあり、道具を制作できることだ。家もその射程に含まれる。実際、最も上手なのは 高齢者であることが多いのだ。 簡素な社会では「高齢者」がリーダーであり 政治や医療、 宗教や、 歌と踊りに関する知識を 最も豊富に持っている。

また、高齢者には社会人期の現役世代にはない、経験・知識・技能から培った「長年のあれ」という解析化できない独特のパワーを備え持っている。あれとは物事を行う上で、抑えておくべき大事な点のこと。この場合、コツ ・ 極意 ・ ポイント ・ 要領 ・ 秘訣 ・ 勘どころなどの物事の大事な部分の概念ことであり、言葉化できない場合における代名詞の芸術表現である。

現役社会では情報源といえば 主にインターネットだが、対照的に簡素な社会では高齢者が情報を蓄積している。地震などの自然災害などによる、社会全体の存続は彼らの知識にかかっている。長く生きた人しか 経験したことがないような まれな事態によって 社会に危機が訪れる時なのだ。現役世代の大規模インフラや都市開発の建築技術よりも、今後においては、災害復興での図面を必要としない、「長年のあれ」による家や地区の再構築力が求められている。かつて高齢者が尊敬されていた時代においては、高齢者は無条件に敬われる存在というよりも、共同体・家族などに大きな貢献をする存在とみなされていたのである。

簡素な社会の高齢者は、文化や歴史、政治や経済にも明るく、何よりこれからの日本のことや世界のことを真剣に考えている。若い人達がこれから生きる時代をより良いものにしてあげたいと願っているということであり、そのような高齢者は若者からも当然尊敬される。

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