「アウトノミアとは。」自己学習ー自律・自主の意
1970年代にイタリアを中心として,学校・工場・街頭での自治権の確立を目指して行われた社会運動。空家占拠や海賊放送などを伴った。
公共的スクウォット
スクウォットとは所有者が何らかの理由で不在となり、そのまま放置された建物に人々が勝手に入り込み、占拠し、生活、管理をしている場所のことである。
スクウォットとは、空家や空地を無断で占拠することで、第三世界では、スクウォットは家賃を払えない数多くの人の住居獲得の手段になっており、また、ヨーロッパの国々でも単純に「違法、だから不可能」ではなく、実際に80年代には多くの若者達が住居として利用したし、その後も続いてきて、また2000年以降、一定活発になっているという。
富豪が牛耳る新自由主義経済・金融中心経済は、不平等・格差を原動力として日々膨張している。そんななか、従来型の、「反対運動」も必要だが、ユーロメーデー的な、プレカリアートたちの反逆・暴動的な表現スタイルは、従来の政治・労働運動では巻き込めなかった人たちを吸収し、膨張し、新しい抵抗形態を日々生み出している。スクウォットの精神は、その典型だ。
家に侵入するところで捕まるとまずいが、入ってしまって鍵を付け替えて、住居権を発生させることで、一定実現可能だという。
単なる貧乏なものが無料で住む家という意味だけでなく、今の社会の貨幣中心的な価値観、法律や国家といった権威・権力・秩序へのアナーキーな対抗、そうした匂いを持つさまざまな文化の発祥の場となってきたという。
こうしたスクウォットはアナーキストを中心に組織され、欧米を中心に世界中にあり、ニューヨークのイーストビレッジやベルリンなど一時期は相当数存在し、独自の文化空間を生み出してきました。そうした建物は昨今の都市の再開発や高級住宅化などにより失われつつある。
スクウォットの重要性とは、つまり、お金を儲けるということでなく、人々が集まり、自分達の文化を生み出すスペースを供給しているという役割だ。
スクウォットに住んでいる人、スクウォットに毎晩来る人のほとんどは仕事をしていません。
日本では「ニート」や「フリーター」は「やる気のない」「モラルの低下した」若者だと罵倒され、「自己責任」という形で見捨てられようとしています。そして、資本主義のグローバル化にともなってブランド商品やその看板が都市を覆い尽くし、人々が資本に包摂されないような文化圏を作り出す可能性がどんどんなくなっている。けれど、ドイツでは失業率が多いから仕事がなくても悪いことにはならない。また東西統一時に「東の人が急に資本主義になって落ちこぼれないように」というドイツ国内の世論のおかけで、いまだに社会保障が高水準なため、仕事がなくても生きていける。そうした中で、スクウォットの住民やその運動に関わる人々は、フリースペース、つまり自由(お金のいらない)空間を守り、彼らの文化を発達させています。
短期(数ヶ月)で終わるものが多いが、運動の拠点としてのソーシャルセンター化して長期に続いているものもある。ソーシャルセンターとは、地域の問題に対し具体的に、保育や教育や医療などを提供したり、イベント開催、学習会、新聞発行などの機能を持つところ。
権威に対抗する、自律の空間となっている。私的所有・富豪中心の経済システムに対抗的。
そうした活動家・実践者・支援者は、アナーキストという場合が多い。その意味は、ひろく、反権威的な活動家といったところか。
この基準で言えば、日本のプレカリアートの運動の特徴は、そのアナーキズム性にあるともいえよう。(従来型の、体制への真の対抗力が低下した、既成政党や労働組合組織とは、この点で違うとも言える)
イギリスでは、「ホームレス」というとチャリティの対象で非エンパワメント状態だが、スクウォッターは、自律的に対抗して生きており、日本のテント生活などをする野宿者は、空き缶で生計を立てて小屋を作り自活しているので、スクウォットととても近いといえる。
こうした観点から、みなでいろいろ歴史やこれからの話をしていて、戦後のバラックも、野宿・テント村、越冬闘争テント、工場占拠・自主管理はスクウォット的だったし、これからも公園に住むという行為はスクウォットだ、
その他、大学の自治寮、特に吉田寮・きんじハウスは、スクウォットだという話、
こうか寮、精華大裏山にすむ、河原、ぼろアパートにみなで住んでいく、野宿者排除のフェンスなどを切っていく行為、など、日本でもスクウォット系の可能性があることがはなされた。
「Do It Yourself」は、日曜大工のように、買わずに自分で作ろう、修理しようみたいなところで有名。しかしこの「自分でやろう」というのは、何でも商品化され、企業の利潤システムにチューブでつながれ、作る能力を忘れ奪われた我々において、ラジカルな意味を含む可能性がある概念。安い生活費で、自給自足的に、あるいは抵抗的に生きる意味になりうる(フランスのドキュメント映画『落穂ひろい』を思い出す)。だから世界のアナーキストの運動において、DIYには、日曜大工といった体制従属的意味とは違った水準の意味を持つこととなった
オランダではスクウォット(不法占拠)が認められている
”日本ではイリーガルなスクウォット(不法占拠)をリーガルに実行してクリエイティブシティをつくる”。
一方で日本では空き家がどんどん増加しています。日本でも居住の実態の無い空き家をスクウォットすることが合法になれば、お仕着せでは無くて、クリエイティブな人々を集めることが出来るのではないかと思います。
寺井さんは「『MAD City』の構想は、海外の街づくりや再生の研究からヒントを得た。その一つが『アーティストたちによる不法占拠』。法と税を通さない公共的占拠
日本の場合、不法占拠による土地所有権発生条件は20年だが、オランダは1年。時代と共に人の住まなくなった建物を芸術家やクリエイターが住居や店を勝手に造って占拠し、1年たって所有権を得る。それにより、もともと廃虚やスラムであった場所が街としての機能を取り戻し再生していくという例がある。日本でそのままやるのは無理だが、合法的な道がないかと考えたのがきっかけ」という。
松戸の仮想自治区「MAD City」が4周年-芸術家やクリエイターをコアに街づくり - 松戸経済新聞
オランダでは1960年代に不動産オーナーが投機目的でたくさんの空き建物を放置したため住居の無い若者達が住み始めたのがスクウォットの始まりです。日本の場合、不動産など物権は絶対ですがオランダの場合はだいぶ緩いです。
「スクウォット」するためにはまず、1年間以上空いている建物に不法侵入&占拠し、必要最低限の生活グッズ(ベッドと椅子とテーブルは必需品)を持ち込む。新しく鍵を付け替え、警察に連絡してチェックをしてもらい、スクウォット許可を得る書類を記載し手続きをすると、合法的に自分の家として居住可能になる。
(ただ、2010年にスクウォット禁止の法案がオランダの両院で可決され、現在は状況が違ってきているようです。しかし、このオランダの事例はスクウォットの可能性を示してくれています。)
クリエイティブシティをつくる第一歩は「創造の場をつくること」
ということでクリエティブシティをつくるために必要なことの第一歩はクリエイターやアーティストが「創作する場」「居住する場」「語らう場」「作品を発表する場」を用意することだと思います。そのためにはスクウォットを合法化する法律の裏付けも大きな力になるはずです。
アムステルダムでは、アーティストなどが周りの人に活動をオープンにするなどの実績を示せば居住を認めています。つまり、イリーガルだったものがリーガルになり、市民の場になるというプロセスがおもしろいと思います。
そして、「場」を用意するとともに創造性を高め合える自発性を軸としたコミュニティ(アソシエーション)を育んで行くことが継続のためには重要だと思います。
これまでクリエイティブシティを標榜する都市は、施設優先の発想だった。しかし、立派なミュージアムを建設すれば、都市がクリエイティブになるわけではない。大事なのは創造性を高め合えるコミュニティをつくること。
あなたがもしユニークなアイデアを思いついたら街ですぐに仲間たちにシェアし、そのアイデアを膨らませ進化させることができる。マッドシティは発想を交流させるのに適度な人口密度だ。創造性の好循環があるコミュニティづくりこそが、クリエイティブシティの本質である。
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