日本国憲法における天皇は「主権の存する日本国民の総意に基づく」(第1条)存在であり、象徴という職責はあるが、一人の人間として、その人権は最大限尊重されなければならない。その意味で、天皇の生前退位は認めらるべきものではあるが、皇室典範の改正については相関性を持たせるべきではない。生前退位については膨大な論点が発生し、大変な議論になるからだ。具体的な公務の負担の軽減を図る方が問題解決は早いはずだ。
一人の人間として人権やその思いは尊重されるべきであり、国事行為の臨時代行、摂政を含めて議論し、象徴天皇制の健全な機能を存続、維持させるため、皇室典範の見直しについては今回の陛下の問題提起を機にしっかり時間をかけて国民的議論を粛々と進めていくべきである。
そもそも法(法典)というものは形骸そのものなのである。「法の精神」という言葉は、立憲論や権力分立などを論究したモンテスキューの著書である「法の精神」と混同され、それぞれの法にまるで精神が宿るような錯覚で捉えられがちだが、現実的な文脈では法に精神が内包するという意味ではなく、法には精神が必要であるという理解が合理的である。日本社会は法(法典)に依存しすぎる。何よりも重要なのは法ではなく法源としての習律である。
国民的合意の形成するためには、法(法典)は決して万能なものではなく、その正しい運用には正しい精神が必要であるという理解がなければならない。
法(法典)を表象するのは立法機関である議会における議員の仕事だが、政治家の仕事はモーレス習律を呼び起こすことにある。習律とは個々人を拘束する力がもっと強く,道徳のように外からの強制力によるよりも内面的な自発性によって支えられているものをさす。
習律が法源となった法(法典)だけが、形骸から現実体としての法(法典)へ再構築され、現実社会において機能することになるのである。まずは、現在の天皇の置かれている状況を主権者たる国民がそんたくし、あくまでも政治主導で進めるのが正しいアプローチなのである。
また、今回のメッセージでは、陛下ご自身の言葉として、「高齢化社会における天皇の在り方」という、日本が抱える最大の課題である高齢化問題を言及されたことについて、一人一人の国民が重く受け止めなければならないのではないだろうか。
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