ひとつは「高齢者」が一体何を「生産」するのか。
そして、もう一つは何を「消費」するのかである。
高齢者も障がい者も女性も子供も、全て人は、「生産」に携わり、他人の役に立ち、人類の一部としての自覚を持つことで人生に光を見出すのである。すなわち「生産」とは、人が価値ある人生を送るために必須の手段であり、またそれ自体「目的」でもあるものなのである。
消費は人を孤独に陥れる。また、一般的には社会の主体は「生産」であり、「消費」ではなく、社会の紐帯は「生産」を通じて生まれると言われている。人間は生産を通じてしか付き合えない。やらねばならぬ仕事が無数にある。だからこそ、その数だけ人々の労働が必要とされ、高齢者にも、誰にでも居場所が空けられている、究極のワークシェアリング社会が営まわれているという考え方だ。
しかし、流行・文化という文脈での、「買う選択」から、社会・公共・倫理という文脈での「買わない選択」へとその「消費」の考え方が変わってきている。
世界は「高齢者」のものであり、未来の「高齢者」のために、現在の「高齢者」がやるべきこととは。
「倫理消費者」ーその中心になるのは圧倒的な購買力を持つ高齢者だ。
企業グー・政府チョキ・国民パーのジャンケンの三値論理で見れば企業に勝てるのは消費者(ショッパー)である国民しかない。 企業に対して社会・公共・倫理という文脈での「買わない選択」という、消費行動の「スペンドシフト」を認識させるためにレファレンダム=直接投票を展開していくのである。
この消費レファレンダムは、身をもって事の重大性を認識し、問題企業はもちろんのこと、他の企業や社会に対しても警鐘を鳴らす為にも、悪質企業にはその責任に応じた社会的制裁を受け、行政だのみではなく、国民が直接目指すべき社会を再構築しなければならない局面にきている。
倫理消費者よる〝レファレンダム〟は、決してスローガンでは終わらない、最後までやりとげる運動だ。10年20年、場合によっては30年以上かかっても、世代を超えて未来の高齢者たちのために、現在の高齢者が必ず完結させるという覚悟と問題意識の深さが問われているのである。
0コメント