トランプ圧勝は「反知性」の世界では想定どおりの結果だ。
世界が今、求めているのは「ロマン」なのである。
〝ある日、ジャックは母親に言われて牝牛を市場へと売りに行く。しかし、途中で会った男の豆と牛を交換してしまう。家に帰ると怒った母親により豆を庭に捨てられるが、次の朝にその豆は巨木へと成長していた。ジャックは豆の木を登り雲の上にある巨人の城にたどりつく。〟
トランプ現象は、すべての候補者がウォール街からの献金を受けて出馬している大統領選システムや大統領候補に対する不満がマグマのように煮え滾っている米国民の真の姿が伺える。
イギリスの離脱においても、「残留派=高い教育を受けた人、グローバル化の恩恵を受ける人、国際的な経験が豊富な人、一定の収入がある人、若者層」であり、一方は「離脱派=労働者階級の一部、それほど教育程度の高くない人、グローバル化の恩恵を受けない人、一部の高齢者」という形に割れたことから、まさに階級の差がくっきりと出た。などのもっともらしい評論が紙面を賑わしている。
知的権威や理性偏重の実証主義、合理主義を標榜する学者やコメンテーターは、何か「不思議」な現象が起こると、すぐに民族的ナショナリズムや反知性主義などと揶揄するが、反知性主義はそうした物事を大げさにして豆知識を無駄にひけらかす学者やコメンテーターなどに対して懐疑的な立場をとる主義・思想であり、本来示すその意味は、データやエビデンスよりも肉体感覚やプリミティブな感情を基準に物事を判断することを指す言葉である。
その言葉のイメージから、単なる衆愚批判における文脈上の用語と取られることも多いが、必ずしもネガティブな言葉ではなく、ホフスタッターは健全な民主主義における必要な要素としての一面も論じている。むしろ、知的権威、エリート側の問題を考えるために反知性主義に立脚した視点も重要だとも説いている。
「豆知識」の世界の住人は、
プリミティブなトレンド摂理が理解できない。
世の中には、科学や学問では説明できないことはいくらでも存在している。トランプ現象は「不思議」であって、決して「謎」ではない。評論家が「不思議」を「謎」と誤解し、もっともらしい「解答」を導き出しても、こうした「謎解き」は所詮こじつけの「レトリック」に過ぎないのである。
我々の「視知覚」は対象の一面のみを捉え知的理解は事象の因果関係だけを汲み上げる。もし考察対象が物理的な立体であれば、そこには無数の視点と無数の理解の道筋があり、それだけで物的存在が人間の知覚理解の限界を超えるものであることが意味されている。つまり,立体は知覚で完結するものではなく,それが繰り返し解釈されることによって浮かび上がる認識のまとまりであり、いわば未知の総体としてアプリオリに前提されているのである。アプリオリとは、経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念である。
少しの豆学問で知性派を気取る知識層と呼ばれる学者やコメンテーターの情報や知性などICTやインターネット環境においては自己学習で十分に事足りる。豆知識は次の「豆知識」を呼び起こすだけだ。つまり豆は所詮豆にすぎないのである。ジャックと豆の木では、豆の木は雲の上を突き抜ける巨木だったが、私たちはこのまま「豆知識」の木を登っていっていいのだろうか。これからの未来の形象においては、データやエビデンスよりも肉体感覚やプリミティブな感情を基準に物事を判断することが何よりも重要になってくる。つまり、「芸術」のそれである。
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