泡沫のアーチスト、 トランプの勝因ー〈詩のような爆弾〉

ヒラリーの政治物語が、データやエビデンスなど、やたら手間とお金のかかるハリウッド的な超大作ドラマだとしたら、トランプは人間の深層意識や文化に働きかける〈詩のような爆弾〉だった。

詩には、映画やテレビドラマにない良さがある。ハリウッド映画に負けない映像を作るとしたら、SFXやら、コンピューターグラフィックやら、やたら手間やお金がかかる。ところがラジオや紙芝居なら、トランプがひとこと、ここは宇宙!というだけでもう宇宙空間になる。今は2030年と言えばもうそれだけで未来になる。現実社会でも、ネットワーク社会でも、どこでも一人で、日本でも海外でも、未来や過去の時空を超えて縦横無尽に人々に感動を与え社会を変革することができる。人間に想像する力がある限り、ラジオドラマや紙芝居には無限の可能性があるのだ。

知識権威は、「隠れトランプ」の存在を読み切れなかったともっともらしいレトリックを繰り返すがそれは稚拙な詭弁にしか過ぎない。

万物の事象において、立体と平面の認識は想像以上に難しい。立体に見えて平面、平面に見えて実は立体。

その物体を触らない限り、実は立体を証明することは実に難しいのである。

我々の「視知覚」は対象の一面のみを捉え知的理解は事象の因果関係だけを汲み上げる。もし考察対象が物理的な立体であれば、そこには無数の視点と無数の理解の道筋があり、それだけで物的存在が人間の知覚理解の限界を超えるものであることが意味されている。つまり,立体は知覚で完結するものではなく,それが繰り返し解釈されることによって浮かび上がる認識のまとまりであり、いわば未知の総体としてアプリオリに前提されているのである。アプリオリとは、経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念である。

トランプは様々なアイデアとアクションを寄せ集めた。それがどんなに未完全であっても人間に想像する力がある限り、ラジオドラマや紙芝居の無限の可能性により、トランプの政治表現はアメリカ国民とアプリオリの共犯関係を再構築し、その主張は立体化されていったのである。


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