オンレイヤー=「築層」と 「転用」=ずらし(ディトルヌマン) HECPの「家」と「地区」の再構築

「転用」=ずらし(ディトルヌマン)とは、対象を本来とは違った方法で使用することによって、使用者の主体性を回復しようとするものである。


学者や行政たちによって企図された均質で幾何学的な創造都市化や金融経済効率最優先の人工都市化に対し、何とかそれを無効化し、市民が都市全体を自分なりに「転用」する可能性を模索する。その都市形成において、「築層(オンレイヤー)」というテクニックを提起する。

「築層(オンレイヤー)」は、単に物理学的な空間を意味するだけでなく,何かを論じる際の基本的論述形式,あるいは論題を蓄えている場、共通の観念を想起させてることで、特定の場所を意識させる現代の〝トポス〟であるともいえる。

行き過ぎた人工的な“創造都市化”からの転用(ずらし)

また、行政区分や伝統的地理境界を超えたネットワーク社会の地理学であり、パブリックネスの概念を包括している。 「築層(オンレイヤー)」は、オルタナティブなパブリックネスである。〈パブリックネス〉とは、情報・思考・行動をシェアする行為、またはそれらをシェアしている状態。人を集めること、または人・アイデア・大義・ニーズの周りに集まること。つまり〈パブリック〉を形成すること。そして、周囲とコラボレーションするために、プロセスをオープンにすること。オープンであることの倫理である。

カントによれば、時間および空間はアプリオリな概念である。なぜならこの2つは、あらゆる経験的認識に先立って認識されている概念だからである。なお、この2つは自然に想像される時間あるいは空間ではなく、形式的なそれである。

築層(レイヤー)の運動は横にではなく上下のずらし=転用により、新たな「創造的断層」を生み出す。

近代社会とは、空間、時間を分断する文化であった。経済効率や権力支配をより強固なものとするために、空間はグリッドによって分割され、地図化されることで初めて空間として認知され、一方時間は統一的な単位を与えられることで、全ての活動が短縮化へ向かって邁進した。それに対しHECPが求めるのは、空間、時間が途絶えることなく持続され、余暇や労働といった時間の区別が解消された生産社会である。近代化の過程で顕在化した空間の分節、大規模なインフラ整備による都市の破壊やそれに伴う格差の再生産による居住地域分離に対するオルタナティブな都市の形象なのである。

それは、VR(バーチャルリアリティ)などではなく、〝レイヤー〟を多層に重ね合わせてみると、ダブルイマージュの非常に面白い支持体(モチーフ)のリアリティが出来上がる。空間、時間超えて、世界中に様々な都市空間が形成される。目的もなく都市を彷徨し、敢えて回り遠をしたり、時には道路を無視してどこかに侵入したりしながら、地図には決して表現されないような都市のさまざまな心理学的効果を発見し、またそれを記述しようとする試みでもある。

「芸術」の時間性ー芸術による社会変革は一世代、二世代、三世代とスペクトラムな展望で考えなければならない。

様々な考え方が混在するリアル社会(第一層)の制度やスキームの変革を実現するためには膨大なエネルギーを必要とする。多様であると同時にそれは多元であるからだ。まずは、リージョン(第二層)で新たな理念を掲げ、ターゲットをセグメントすることから始める。(イノベーターターゲット)そして、ネットワーク(第三層)やFSWフラッシュ・サイドウェイ(第四層)とリンクさせていく。〝レイヤー〟を多層に重ね合わせてみると、非常に面白い支持体(モチーフ)のリアリティが出来上がる。そのイメージより多様なコンセンサスを得、リアル社会(第一層)の変革の実務を図って行く。FSWフラッシュ・サイドウェイとは、 実在するパラレルワ-ルドで、しかも時間の概念を超越した世界だ。「個」の境界を超えた大いなる生命を感じるとき、もう一つの道が存在する。100年後の未来から現在の自分を見る、そして、100年前の過去から現在を見る。そして、「永遠の命」を見つめることである。我々人間に与えられた生命学的な命は、限られた命だが、その自分の命を超えて、永遠に生き続ける命がある。つまり、「芸術」による社会変革とは一世代、二世代、三世代と、50年、100年先の展望で考えなければならないのである。

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