HECPの「サウドジズモ」。

「侘び寂び」と「サウダーデ」の存在する地区ー蒲生三丁目。


古い街道から路地階段を下れば、小さなうらぶれた公園がある。坂から自転車で駆け抜ける2台の親子の自転車が駆け下りる。坂の上には貨物線の踏み切り越しに、見上げたOBPのビル並み上に広がった空。下校途中の子供たちは踏切横の地蔵尊の前で屈託のない会話をしながら、電車の通過を待っている。何度となく見上げた〝蒲生三丁目〟の空は、ただ単に澄んだ青ではなく、少しではあるが確かにマゼンタ(紅紫)が混ざっていた。都会の空色(水色)でもない、田舎とは明らかに違う青に、時間が止まっているような感覚を強く意識させられる。戦災を潜り抜けてきた〝蒲生三丁目〟の街並みや空には、きっと<サウダーデ>が滲んでいる。

蒲生三丁目の3マイル圏内には、大阪城公園をはじめ、花博公園鶴見緑地、桜ノ宮公園、淀川河川敷公園、城北公園、中之島公園という大阪を代表する六つの公園が存在する世界にも類を見ない恵まれたロケーションにある。蒲生三丁目には、コンビニもないし、ファミレスやファストフードもない。戦火をくぐり抜けた家屋長屋路地風景街並み風景には侘び寂びや鄙びた街並みの郷愁を憶える不思議な空気感が存在する。〝古い街道から路地階段を下れば、小さなうらぶれた公園がある。坂から自転車で駆け抜ける2台の親子の自転車が駆け下りる。坂の上には貨物線の踏み切り越しに、見上げたOBPのビル並み上に広がった空。下校途中の子供たちは踏切横の地蔵尊の前で屈託のない会話をしながら、電車の通過を待っている。何度となく見上げた〝蒲生三丁目〟の空は、ただ単に澄んだ青ではなく、少しではあるが確かにマゼンタ(紅紫)が混ざっていた。都会の空色(水色)でもない、田舎とは明らかに違う青に、時間が止まっているような感覚を強く意識させられる。戦災を潜り抜けてきた〝蒲生三丁目〟の街並みや空には、きっと<サウダーデ>が滲んでいる。

地区内の小さな住居、路地に様々なアートがきめ細かく並べてられている。ちっぽけな住居や都市空間でも、創意工夫で美しいギャラリーやミュージアムになる、というわけだ。この住居ギャラリーや路地裏アートは、高密度に暮らす〝ガモウ〟ならではの展示手法。ポストミュージアムとともに、身の回りの小さなところからアートを育てていくこの伝統技術を深め、地区全体に広げていくことが重要になってくる。小さなアートを路地、玄関、ベランダなどに持ち込み、できればご近所で相談しならが調和のとれた地区全体のアート化につなげていく。開発により都市をアート化し、アートを増やすことはすばらしいことだ。しかし、〝ガモウ〟には〝ガモウ〟のやり方がある。小さなアートを慈しみ、それらを近隣で分けて、どんどん増やしていく。その過程で、近隣とのコミュニティが密になり、地区にコミュニケーションが広がり、スマイルが増えていく。安全で安心できる住みよい美しい町が育てられていく。これが本来のアートによるまちづくりの目的であり、ガモウ的な都市アートの目標と言えるのである。

40年間、様々な〝家〟を作り、路上の〝無名〟〝無機質〟を撮り続けてきた。それは小手先の美学や観念で作られた写真ではなく無作為にシャッターを押しただけのスナップフォトワークだ。 大阪に生まれ、自己学習で写真を学び、写真家としての活動を開始する。報道写真、ドキュメンタリー(無名の人々、疲弊地区)、家電、 機械・工場・建造物などの無機質な工業系アートなオブジェやモチーフを追い求める。「無機質」とは、ただ機械っぽいのではなく、無駄を削ぎ落とし合理性を追求した「用の美」として、日本古来の「侘び寂び」の美意識に由来している。 「〝家〟や〝地区〟そのものにストーリーがあり、そこにあるもの自体がアートをやっているわけだから、写真でわざわざアートにしなくてもいい。写真も映像もただひたすらにカメラを回すだけだ。社会的なメッセージって、あんまりそれを表に出そうとすると、説明的になり過ぎて作品自体からリアリティーが失われてしまう。〝家〟や〝地区〟という作品の意味を物質的形態性から文脈性へ移すという効果を出すためには、写真や映像は大きな役割を果たす。」

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