アートは人間の精神を豊かにさせる力をもっている。際限のない生産と利益追求、抑制のない消費の結果としての廃棄物の山はアートでは決してない。ITや科学技術の急速な進歩は、人間の良好な環境や安心を、ひとまずは生み出したかにみえている。しかし、デメリットとしてさまざまな環境汚染や資源の有限性への心配がある。経済活動における「大きな工場」でのモノの生産が人間に幸福をあたえる万能のものとは云えなくなった。また、省資源や環境汚染防止のための技術的研究が続けられている。このことは、確かに再び科学技術による解決を目指すという循環の中にある。しかしながら、さまざまな法律や規制により、現状からの方向転換を図ろうとしているが、科学技術や法による転換の方法は、更なるパラドックスを生み、個人の行動についてみるとき、人間本来のあるべき姿を再認識させていく力はここでもまた万能ではない。「小さな仕事場」でのモノ作りは手工業であるため効率的ではなく、金銭的利益も少ないものである。しかし、現代文明社会への疑問を抱くときに、もうひとつの価値観、もうひとつの生活様式を認め合っていく社会、そのなかでなりたつ経済生活はどのようなものであるかについて、考えつつ実践していこうとする人びとへの「教育効果」は、人間の本性にたちかえって考えるものである。人間自身の五感の再開発を促し、体験を通して自然への畏敬や人間どうしの尊重や信頼を深めていこうとする態度が日常的に存在することが、たとえITやハイテクの時代にあって、分業の発達している時代においても、どうしても必要であろう。このようなことが次世代への贈り物であると思われる。現代においては労働の至高状態としてアートというものが設定されている場合が多い。不自由な労働から開放された先にアートが存在すると考えられがちである。つまり、労働の目的として、アートが考えられている。リ・コンシャスではアートの目的こそ、労働であり、コモディティーにあると言える。そして、IT・ハイテク時代においてのリ・コンシャスなクラフトマンシップは日常をアーティスティックに生きる基礎であり、教育や啓蒙の場面では倫理的に人間が自然と共存していくことについてのひとつの方向を内包し、来るべき人間の活力の源泉の在りかを指し示している。リ・コンシャスとは主張する生き方である。 材料を揃えようと思うよりも手元にあるものや残ったものをどう利用するか、どう再生するかを考える。「もったいない」という精神。 自然環境を中心に地域や身の回りにある素材、不要なものやガラクタを分解したパーツを徹底利用し資源を大切にする思想、アラウンド・リソースという考え方。素材を生かし決して過度な技巧に走らず、多少不細工でもどことはなく愛嬌がありアーティステック。そして、何よりもインパクトにあふれ存在感抜群。リ・コンシャスはモノづくりは食や住空間、地域や都市に至るまでそのクリエイティブなスタイルは存在感抜群で強い主張があふれている。 高齢者のハンドメイド・スキルを高めICTや市場原理主義によって奪われた”手仕事”そしてクラフトマンシップを取り戻します。それはウイリアムモリスのアーツアンドクラフツやガンディーのチャルカ思想から学び現代のコモディティーに反映した持続可能な事業活動として、様々なビジネスシーンとリレーショナルに連携することにより活動の輪がさらに広がります。
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