20世紀後半から隆盛し始めた、新自由主義の申し子〝アッパーマス〟と呼ばれる〝富裕層〟が登場した。かれらは住宅建築の施主となり、都市郊外に居を構え、邸宅内には種々の装飾芸術品が飾られた。HECPは「生活の簡素さ」という〝芸術〟は、〝富裕層〟の求める「贅沢luxury」「俗悪さvulgarity」を「簡素さsimplicity」「正直さhonesty」によって改良しようとする試みであり、世界中の〝ロウアー〟が「小芸術」の在り方を問い直し、「芸術」の理解が高まることで、「大芸術」も「民衆の芸術の威厳」を回復する〝アーツアンドクラフツ 〟の運動なのである。
HECPは〝芸術〟を〝国家〟や〝都市計画〟のような「大芸術」と〝家〟や〝地区〟という「小芸術」に二分しつつも、決して対立概念ではなく、独立した〝層〟として二者を分離できない「芸術全体」という枠組において把握していることを示している。両者を「芸術全体」へと再融合すべく、日常生活の「小芸術」に足掛かりを求めるのである。「小芸術」とは具体的には〝家〟や〝地区〟という「家造り」「家具木工」「小物雑貨」などの工芸であるとされ、日常生活において一般の民衆によって使用されるものの表象を意味する。
「生活の簡素さ」ーそれは趣味の簡素さ、すなわち甘美で高尚なものへの愛を生むものであるーは、われわれが切望する新しくよりよい芸術の誕生のためにもっとも必要な事柄である。「豪邸」であれ、「バラック」であれ、あらゆる所に簡素が必要である。
しかしながら、多くの〝ロウアー〟が望むのは欲望を抑えた〝簡素な生活〟ではなく、〝富裕層〟がするような裕福な暮らしである。ウイリアム・モリスのアーツアンドクラフツや民藝運動の思想の最大の欠点は、この〝ロウアー〟の心性を全く把握できなかったことにある。
西欧の伝統的な美意識には黄金比に起源するプロポーションの観念があり、それは反面、階調であるがゆえに退屈で魅力を感じない。日本では既成のプロポーションの観念やコンプレックスも強く、「新品崇拝」も合わせて「古いもの」、「傷のついたもの」、「壊れたもの」には非寛容であり、「リメイク」や「リノベーション」、「コンバージョン」「アップサイクル」などの「旨味」が理解できる人間が存在しないのが現状である。それは時として問題の本質を隠蔽し、本当に大事なことを見失うことになるのである。
HECPのアーツアンドクラフツにおける「小芸術」の表象は、プロポーションが少し乱れたり、歪んだり、傾いたりしているところにこそ、単に美術という側面だけではなく、人権や環境などの多層な俯瞰視点などからの「芸術」としての「本当の美」が存在する、という巨視的なアプローチが必要である。 HECPは「芸術」をスタティックな、シンボル的な、モニュメンタルな造形物として捉えるのをやめ、人間の動的なアクションのなかで考え、世界中で群発的に圧倒的なパラダイムシフトを呼び起こすことということである。
日本には、昔から「もったいない」の精神心があり、徹底したリサイクルが行われ、緑も豊かな江戸時代のまちづくりに代表される良き伝統があり、優れた智慧と技術がある。また、古来よりの日本の伝統文化に「侘び寂び」の存在がある。侘(わび)は、貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする美意識を言う。寂(さび)は、時間の経過によって劣化した様子を意味している。
こうした伝統と優れた技術を活かし、環境と調和した美しい「共同体」づくりを、たったひとりの無名の〝ロウアー〟による、実践的芸術主義による「小芸術」が、「大芸術」において大きな波及を及ぼし世界を変えるということを「大きなモチベーション」として実際の活動に結び付ける視点が重要になってくる 。
パラダイム・シフトとは、個の逆転である。「人には、劇的に考え方や感性が変わる瞬間がある。
それまでの常識が一気に覆り、新しく目が覚めたような気分になる。このような体験を、パラダイム・シフトと呼ぶ。単なるきっかけがあったり動機を備えていたりするだけでは、人はそう変われないものである。パラダイム・シフトはもっと強力で不可逆的である。生物史において、生き残った種は、大きく強い種でも、個体数の多かった種でもない。変化に対応できた種である。…とは、ダーウィンの言である。パラダイム・シフトは、進化なのである。
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