「復興」の思想的核としての〝サウドジズモ〟。


復興とは、世界中で災害や紛争などをはじめとする、様々な苦難の経験において、その土地の物理的景観,歴史,伝統,芸術,宗教,法律そして経済的遺産に起因し,肉体的,精神的な性質を有する『家と地区の再構築』である。


ワルシャワの復興、

戦争で破壊されたワルシャワ。


『歴史地区はワルシャワの最も古い地域であり、住居や店舗が軒を連ね経済的に重要な地区であった。また、歴史によりその重要性を失った時代もあったが、ポーランドの王宮や市庁舎が存在した政治の中心地でもあった。戦後、ポーランドの建築家ヤン・ザフファトヴィッチの指揮のもと、歴史地区の復興が行われた。その復興とは、元の街を再現することであった。ヤンは"歴史を奪われた国民は、国を奪われたも同じだ"といい、修復事業の陣頭指揮をとった。戦争中に街が破壊されることを想定して建築学部の学生が描いた街のスケッチ、過去にイタリアの画家ベルナルド・ベッロットにより描かれた都市風景画などを元に、壁のヒビ1本までも出来る限り再現したという。』


今回の震災においても、家族を失い、家を失い、職を失った被災者の喪失と悲哀は誰しもが想像に難くない。被災者は故人と向き合い、対話しながら、残された者たちが幸せに生きることを願いながら逝ったに違いない故人の意思として、さらには自分たちの町や村を再建してほしい、と故人の意思を聞き取り、故郷の「住」と「職」を再建しようとする意思を受け止めるのであれば、被災者が主体となり、鎮魂と生活再建の共存を可能とする『家と地区の再構築』を目指すべきである。その場合、知恵と経験の豊富な「高齢者」がその主役となり、地域の女性や子供たちと、現存する資源やシステムを活用し、地域需に支えられた持続可能な仕事場と伝統的共同体を創出するために、会議や図面に頼らない手作りの「復興」を一気に進めていく使命がある。


復興を〝都市インフラ〟のような「大芸術」と〝家〟や〝地区〟という「小芸術」に二分しつつも、決して対立概念ではなく、独立した〝層〟として、二者を分離できない「芸術全体」という枠組において把握していることを示している。両者を「芸術全体」へと再融合すべく、日常生活の「小芸術」に足掛かりを求めるのである。「小芸術」とは具体的には〝家〟や〝地区〟という「家造り」「家具木工」「小物雑貨」などの工芸であるとされ、日常生活において一般の民衆によって使用されるものの表象を意味する。復興においてまず何よりも最優先すべきは被災者の生活支援であり、そして、そのスピード感である。時間効率性のためには住民間の「生活の簡素さ」に対する合意、とりわけ本格復興までの中長期における被災者が自助・共助により生活できる【仮設都市】の構築に対してのメッセージとその生活イメージの合意は復興を進めていく上で最も重要なものとなる。

復興は、その表象を〝家〟と〝地区〟の〝共同体〟として位置づけ、〝家〟を工芸的側面ではなく、「住まい=Home」という生活の場として捉える。そして、「小さな家」づくりを「全ての始まり」とする。初発的なものとして日本各地の被災地において〝家〟と〝地区〟の表象を展開していき、究極的には世界中の多くの〝無名な人々〟が〝自己学習〟により、自足的に家を構えることを理想とするのである。

応急危険度判定などに応じて、その手法は残置された廃材や家具などを解体して、床・壁・天井などの補修に充てるという、現場主義の行き当たりばったりで設計図などはない。設計図というのは、複数の人間でやっていたり、工場で作ってもらうためにある。ひとりでやっている分には必要なく、そもそも設計図をかこうと思ったら、つま先から頭のてっぺんまで、全部設計しないといけない。それよりも身の回りの資源を徹底的に利用して行き当たりばったりで、限界ギリギリでやっていくほうが、結果的に無駄も無く面白いモノができる。無理に材料を揃えようと思うよりも手元にあるものや残ったものをどう利用するか、どう再生するかを考える。リ・コンシャスな発想は、素材を生かし決して過度な技巧に走らず、多少不細工でもどことはなくプリミティブでアーティステック。そして、何よりもインパクトにあふれ存在感抜群だ。リ・コンシャスの簡素な家づくりには難解な設計図や高度なテクニック、複雑なコミュニケーションは一切必要としない。誰でもひとりでいつでも作業できるが、地元の工務店や大工たちと協働し、地元主導で地元の資材や人材を使用することにより、地域経済の早期の活性化に寄与することができる。


過去の記憶への欲求を希望にすることで地域の再生を目指す。


復興とは、インフラ整備や住宅の復権にとどまらず、《過去における記憶》と《未来における希望と欲求》よりなるも のでなければならない。「記憶と欲求が混淆し,互いに浸潤し合い,後に新たな感情となって殺到するのだ。情緒もまた意識現象であるならば、情緒とは、ある対象への態度や価値づけの意識(志向性)ということになるが、復興における人びとの情緒は、本来、個人の願望(願い)と記憶(思い出)を基本的な構成要素とする意識現象であり、この情緒を有する者は過去の記憶のなかに残る人や物、時間や空間を現在に取り戻したいとする願いを有し、その願いのなかで苦悩している。本来であれば、復興とはワルシャワ歴史地区のように、壁のヒビ1本までも出来る限り再現するというのが筋だが、過去の記憶を生きた真理として被災の若者たちが学び,理解し,自己を成長させ,郷土や祖国にひいては人類に生命を捧げて献身することで、欲求は未来における希望と同意語になる。そして、悲しみを帯びた叙情性,衝動性が優位を占め,そこでは,心の痛みと喜び,生と死,精神と肉体という対立するものが混じり合い,神格化され,神秘的魅力が生じるわけである。このような感情は,文学を通して多く顕現されるが,記憶との調和による欲求を 未来における希望と捉え,郷土再生のエネルギーに転換させていかなければならない。また,こうした欲求 =希望は,生理的欲求,安全欲求,愛と所属の欲求を超える,自立性を結果として獲得する承認欲求からさらに高度な自己実現欲求を求めるものである。


住宅再建支援は「被災者の自立支援の原則」、「コミュニティの持続発展の原則」、「既存 ストックの有効活用の原則」、「多様な被災ニーズ適合の原則」、「柔軟な迅速対応の原則」、 「地域文化継承の原則」、「文化経済包括の原則」を踏まえたものでなければならない。


住宅再建の問題点と課題は、地域再生性、被災者自立性、時間効率性、経済効 率性の観点が重要である。しかし、自治体の職員不足、労働者と建設資材不足、用地不足、住民の合意不足などの理由により、残念ながら遅々として進まないのが復興の現実なのである。今までのように問題の解決を国や行政の既存の仕組みに任せているだけでは進まない、一人一人が動くしかないのだ。地域性を無視した理想の住宅や都市のモデルを押し付けても復興は進まない。仮設住宅を通す場合においても、建設時から復興まちづくりを見すえて地域が主体になってスタートし、本設に移行していくその復興プロセスの中から見えてくる生活像、そこから生みだされる地域の住まいやその規範が地域で共有されて始めて、復興のまちの将来像は具体像としてイメージ化されることになる。


通常においては、 大規模災害後には、避難所での生活を強いられている被災した人々のために、プレハブ仮設住宅の建設が求められる場合が多いが、常設ではなく仮設なのは、建設期間が短期で大量に建設が可能なことによるものだ。資材不足の要因は仮設住宅の規格性(法定の標準仕様)にある。また、常設住宅を早期に実現する意義は仮設住宅の建設並びに解体のコストが不要になり、かつ、居住者の早期の生活再建が可能になる。数年後に訪れる仮設住宅からの退去のストレスから解放される。借り上げ仮設住宅は、都道府県などが民間賃貸住宅などを借り上げ、応急仮設住宅に準じるものとして被災者に提供する制度で、都道府県を越えて避難した場合でも適用できる。東日本大震災において応急仮設住宅建設用地の確保が難航する中で対策が進められ、今も被災者の避難生活を支えている。


また、常設住宅であれば、規格性は求められないので、入手できる建設資材での建設が可能。 また、建設可能な用地に仮設住宅の建設を優先しすぎると、常設住宅を建設する場所が無くなってしまう恐れ があり、その場合には生活再建はさらに遅れる可能性がある。なによりも、地元の工務店・大工、木材を使用することにより、地域経済の早期の活性化に寄与することができる。 「高齢者」の孤独死が相次いだ阪神大震災の教訓から、国は「仮設住宅」が所在する地区への介護施設の誘致などの支援策を打ち出しているが、現実には「仮設住宅」の多くは、せいぜい小さな集会所が設置されている程度で、それすらも利用したことのない住民も少なくない。どちらの場合にせよ、仮設住宅と本設住宅の境目を法律によって区切るのではなく、仮設住宅を本設住宅として将来も 活用することを許容し、まちとしての機能を持ち合わせた仮設市街地から復興市街地に段階的に移行してい けるようなプロセスを通じて、まちの将来像を創造していく方が合理的である。被災者の自立による「コミュニティ」とその地域需要に支えられた持続可能な仕事場の創出にこそ、「復興」の本質がある。そして、それは被災地の抱える様々な矛盾のひとつひとつに対して、まさに多層に入り組んだ「方程式」を丁寧に解きほぐしていく闘いでもあるのだ。

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