stand:Support Task Art Network for Disaster
被災者支援タスクアート(実践的芸術表象)ネットワーク 「スタンド」とは、個の「自立」と「覚悟」の概念だ。今後、世界中の紛争地区や被災地区で群発的に「スタンド」がわき起こる。
『自然も社会も地球規模で、様々なマグマが爆発寸前であり、熊本地震はその〝タイミング〟で発生した。』
人類はすざましい災害や劇的な紛争や事件が起きた時にパラダイムシフトが起こる。『今後数十年間で、人々の心の中に地球規模の意識が出現するであろう。その本質や大きさは今のところ分からないが、数年後には、世界は距離がなくなり、クラウド・シンキングのその新たな意識は、私たちに論理的な結論をもたらすだけでなく、他の人々のタスク(行動)を通じて、世界中で群発的に発生する。「スタンド」という運動は別に誰かが「そうしよう」と決めるわけでもないし、主導するような社会理論があったわけでもない。集団的な叡智が発動するときというのはそういうものである。
地球の裏側の出来事と私たちの日常生活が結びついていることを、今ほど鮮烈に実感できる時代はない。世界各地の相互に無関係なエリアで群発的に発生する紛争や災害という謂れのない苦難に対して、パブリックネスに同じ行動を取る。それが「スタンド」である。これから起きようとしているのはそれである。 震災復興においては、●自治体の職員不足、●労働者と建設資材不足●用地不足●住民の合意不足などと、「復興」が進まない理由をいろいろ説明されるが、この段階であれこれ国や行政の「不足」を並べ立てもしかたがない。今までのように問題の解決を国や行政の既存の仕組みに任せているだけでは進まない、一人一人が動くしかなく、『立ち上がれ」というのが全世界で起きているさまざまな紛争や災害や高齢化、貧困などの現象に通底するメッセージである。
・スタンド0.0 under stand :理解する
“understand” とは「理解する」だ。standの基礎となる重要な概念。「アンダーにスタンドする」、つまり「下に立つ」。あるいは「人の下に立つ」というのは、その人の立場になって物を見る、その人の足場に立って物を考える、ということにつながる。人を理解することとは、その人の足元に立つ、その人の下に立ってみて同じ立場で考えることが、その一歩だというわけである。
・スタンド1.0 stand-by:支持をする
読んでそのまま- そばに立つ[いる]、〔救助できるように近くで〕待機する、スタンバイしている、準備する- ~を援助する、~の力になる、~に力を貸す、~を支持するなどの「そばにいて」という意味と、「自分を支えていて」という意味がある「そばにいて」という意味と、「自分を支えていて」という意味。 映画「STAND BY ME」。決して新しいわけではないこの映画だが、このタイトルは今でもいろいろな意味で用いられている。少年期から青年期に移りゆく年頃の少年の微妙な内面を描いている。この時期の少年・少年の友情の代名詞としても使われている。
- スタンド2.0 stand up:立ち上がる
言うまでもなく立ち上がるという意味である。スポーツで、正面きって身構えること。 立ち上がる、起立する意で命令口調などで用いる語。見えぬ暗闇を 手探りで歩いていく、 うずくまっているよりはましだ自分の足で立ち上がれ。 2005年のアメリカの社会派映画「North Country」の邦題にもなった「スタンドアップ」は1988年に行なわれた世界初のセクシャルハラスメント訴訟に勝った実在の女性をモデルに映画化した感動ドラマである。
- スタンド3.0 stand play:圧倒的な感動を呼び起こす
「拍手喝采を狙ってする、派手で目立つプレー」 「自分を強く印象づけるための、目立つ行為」とする「スタンドプレイ」は、決して何ら悪いことではなく、芸能人やタレントをはじめスポーツ・文化人・芸術家はこのような時にこそ、天から授かった自らの才能(タレント)を発揮し、被災者という観客を「あっ」と言わせるような、一次元超えた「芸術的表象」で感動を呼び起こすことが社会的使命なのである。
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