【熊本地震】
寄付しただけで批判の的?〝不謹慎狩り〟
女性タレントが熊本地震の被災者のために500万を寄付したことを明かした。だが、ブログに掲載した金額入りの振込受付書に対し、ネット上では「いちいち出すな」「好感度上げたいのか」と批判する声が…。一体、何が問題なのか――。芸能人やタレントが〝スタンドプレイ〟を行なうのは当然である。それが、芸能人やタレントの分際であり、もともと、「目立ちたい」という大きなモチベーションにより、マスコミメディアの世界に入った人たちである。普段から社会に対して立派な志を持って活動しているわけではない。〝スタンドプレイ〟は芸能人やタレントにとって、自らの表現活動の〝レゾンデートル〟であり、生命活動なのである。逆にこうした〝スタンドプレイ〟を放棄したタレントの方が大問題である。観客は、こうした芸能人やタレントの活動に対しても〝アンダースタンド〟が必要である。その表現に、志や品性、センスに欠けることがあっても、観客は理解と寛容さにより、どうしても嫌なものは観ないという選択もある。こうした、観客やメディアなどによる過剰な反応は、芸能人やタレントのみならず、マスコミメディアにおいても批判を恐れての臭いものには蓋をするような自主規制などにより、表現活動を萎縮させ、パフォーマンス全体が非常に退屈なものになる。こうした問題は、むしろ、マスコミメディアのその取り上げかたに問題がある。芸能スポーツだけでなく、企業経営者や高額所得者などの成功者が高額寄付などを行なうのは、決して「美談」などではなく、当然の行為であり、社会的責務と言ってもいい。元来、成功者は当然本人の努力もあるが、社会的な背景や生まれ持った天分などの運や偶然によるものが大きく影響する場合が多い。このような人々は、不運にも偶然の災害により、謂れのない苦難に見舞われた人々に対しては最大限の還元を行なう使命がある。私は相応の税金を納めているというは、詭弁に過ぎない。復興支援は「社会の問題」や「税金の問題」ではなく、「人間の問題」なのである。
芸能人・タレントをはじめ、スポーツ選手や高額所得者が「拍手喝采を狙ってする、派手で目立つプレー」 「自分を強く印象づけるための、目立つ行為」とする「スタンドプレイ」は、何ら悪いことではなく、むしろこのような時にこそ、天から授かった自らの才能(タレント)を発揮し、被災者という観客を「あっ」と言わせるような、一次元超えた「スタンドプレイ」で感動を呼び起こすことこそが社会的使命なのである。
「不謹慎狩り問題」の本質は、寄付行為などの芸能人に対して仲間内で褒め合うような、自画自賛の美談の論調の報道のあり方がこそが、一般観客の振り子の振り幅を増幅させ、反発を呼び起こす素因になっている。むしろ、災害現地に赴き被災の惨状を目の当たりにした、マスコミメディアは、芸能人やタレントに対しての毅然な対応が求められる。『あなたは〝スタンドプレイ〟しないのですか?』と問いかける責務があるのではないか。芸能や文化などの分野はこのような状況に最大限のパフォーマンスを表現するために、普段は社会の『遊び』の機能を果たしている。こうした状況にこそ、率先して行動を移し、社会に貢献するのが当然のあるべき姿なのであり、ルーティンの活動の延長により「笑い」や「勇気」を届けるなどはご都合主義の詭弁に過ぎない。東北大震災では、ダルビッシュは「俺たちは本当に野球をやっていていいのか」と苦悩した。また、こうした大災害において、「自粛」を隠れ蓑に「沈黙」を決め込む芸能人やタレントの方がよほど大問題である。元来、日本の芸能人やタレントは寄付行為やボランティアだけでなく、政治的発言や社会的貢献をしなさすぎなのである。stand3.0スタンドプレイは、全国各地で様々なスタンドアップ2.0の誘発を呼び起こす、インスタレーションという「芸術的表象」が問われているのである。
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