復興ー「家と地区の再構築」の実現可能性。 〝小工〟(しょうく)の登場。


群発的に発生する、災害や紛争において、
家と地区の再構築を担う〝小工〟(しょうく)という名の芸術家。



「日本社会への最後の通告」


『自然も社会も地球規模で、様々なマグマが爆発寸前であり、熊本地震はその〝タイミング〟で発生した。』


『熊本地震(くまもとじしん)は、2016年(平成28年)4月14日21時26分(JST)以降、熊本県及び大分県で連続して発生した一連の地震である。まず4月14日21時26分頃に、熊本県熊本地方を震源とする、マグニチュード6.5(暫定値)の地震が発生し、最大震度7が観測された。さらに、その28時間後の4月16日1時25分頃には、同じく熊本県熊本地方を震源とする、マグニチュード7.3(暫定値)の地震が発生し、再び最大震度7が観測された。気象庁は同日、後者(16日未明)の地震が本震で、前者(14日)の地震は前震であったと考えられるとする見解を発表している。また本震以降、熊本県阿蘇地方及び大分県においても規模の大きな地震が相次いで発生した。』




東日本大震災から熊本大地震という流れは400年前の再来だった!

「そして、これらは群発的にやってくる。」


〝2011.3.11東日本大震災後の日本の地震発生状況は、17世紀前半(400年前)に似ている。

東北で慶長三陸地震(1611年)が起きて津波が三陸を襲い、その8年後の1619年と14年後の1625年に、今回と同じ熊本で2回の大地震が発生。それから、8年後の1633年に神奈川県小田原市の大地震が起きている。今回、2011年の東日本大震災から5年後に熊本地震が起きた。東北での大震災→熊本大地震という、400年前との類似性があある。

熊本は1889年(明治22年)にもM6.3の大地震が起きている。 日本列島が地震活動期に入る時に、最初に東北で大地震が起きて、地盤が歪み、各地の活断層を動かすのかもしれない。そのメカニズムに順番や法則があるのではないかという意見もある。運悪く私たちは、地震活動期に生まれたという事なのだ。

17世紀の例に学ぶと、今後は6年後の2022年くらいにもう一度熊本で大地震が起き→2030年くらいに小田原等の首都圏で地震が起きるという流れだ。こうした歴史が繰り返えさないとは決して言えないのである〟




「小工」は「復興地区」から生まれる、

「家と地区の再構築」を実現する復興リーダーだ。

そして、今後、群発する災害に対し、リレーショナルな伝承を果たす。


復興とは、インフラ整備や住宅の復権にとどまらず、過去の記憶への欲求を希 望にすることで地域の再生を目指すことに他ならない。被災者は自分が生き残った意味を常に自問しながら、復興に命をかけている。復興を果たした後には間違いなく〝リーダー〟になる人たちであるは間違いない。復興の主体は被災者である。もちろん、ライフラインやインフラや都市計画のような「大芸術」は、国や自治体などの行政の力によるものだが、復興の本質は、被災者が様々な苦難の経験において、その土地の物理的景観、歴史、伝統、芸術、宗教、法律、そして、経済的遺産に起因し、肉体的、精神的な性質を有する『家と地区の再構築』にある。小工の芸術的表象は〝家〟を工芸的側面だけではなく、「住まい=Home」という生活の場として捉え、「家」づくりを「全ての始まり」とする。初発的なものとして日本の各地において〝家〟と〝地区〟の表象を展開していき、究極的には世界中の多くの〝無名な人々〟が〝自己学習〟により、自足的に家を構えることを理想とするのである。そして、こうした集落のコミュニティを維持するためには、「家と地区の再構築」という積極的な活動を生かして、「高齢者」どうしが支え合う新たな仕組みを構築していく機会とすべきである。また、復興における家や地区の再構築において、現役世代にこれ以上の大きな負荷をかけることはできない。地域のコミュニティや原風景を取り戻すのは、高齢者や女性たちが中心になるべきである。高齢者が主体となって、長年の経験や智慧を最大限に活用し、家と地区の原風景の再構築を実現を目指す。その場合、知恵と経験の豊富な「高齢者」がその主役となり、現存する資源やシステムを活用し、地域需に支えられた持続可能な仕事場と伝統的コミュニティを創出するために、会議や図面に頼らない手作りの「復興」を一気に進めていくことができる。地元の工務店や大工たちと協働し、地元主導で地元の資材や人材を使用することにより、地域経済の早期の活性化に寄与することができる。 熊本地震での被災者の子供たちによる、いきいきとしたボランティアの活躍を見ても、高齢者・女性・子どもたちが復興の「希望」なのである。




ハンドメイドの復興を実現する、小さな住居アーチストー小工家。

小工(しょうく・すくなたくみ)


小工(しょうく・すくなたくみ)とは、現在では「大工」といえば、木造建築の建設を担う職人を指すが、このような意味で大工という言葉が使われ出したのは、江戸時代後期になってからだ。古くは「工(たくみ)」という言葉だけで「技術者」という意味をもっていた。大工・小工の下には、「長上工」と「番上工」という職制もあり、合計4つの位が設けられていた。


高齢者が、地域社会の復興の主役となり、とりわけ、家の復旧などの小芸術を表象を担う。「小芸術」とは具体的には「家造り」「家具木工」「小物雑貨」などの工芸であるとされ、日常生活において一般の民衆によって使用されるものの表象を意味する。彼らは現代の「小工」という新しい職分に位置づけられる。


応急危険度判定などに応じて、その手法は残置された廃材や家具などを解体して、床・壁・天井などの補修に充てるという、現場主義の行き当たりばったりで設計図などはない。設計図というのは、複数の人間でやっていたり、工場で作ってもらうためにある。ひとりでやっている分には必要なく、それよりも身の回りの資源を徹底的に利用して行き当たりばったりで、限界ギリギリでやっていくほうが、結果的に無駄も無く面白いモノができる。誰でもひとりでいつでも作業できるが、地元の工務店や大工たちと協働し、地元主導で地元の資材や人材を使用することにより、地域経済の早期の活性化に寄与することができる。被災者の自立による地域需要に支えられた持続可能な市場の創出にこそ、「復興」の本質がある。そして、それは被災地の抱える様々な矛盾のひとつひとつに対して、まさに多層に入り組んだ「方程式」を丁寧に解きほぐしていく闘いでもあるのだ。

住宅再建の問題点と課題は、地域再生性、被災者自立性、時間効率性、経済効 率性の観点が重要である。しかし、自治体の職員不足、労働者と建設資材不足、用地不足、住民の合意不足などの理由により、残念ながら遅々として進まないのが復興の現実なのである。今までのように問題の解決を国や行政の既存の仕組みに任せているだけでは進まない、一人一人が動くしかないのだ。地域性を無視した理想の住宅や都市のモデルを押し付けても復興は進まない。仮設住宅を通す場合においても、建設時から復興まちづくりを見すえて地域が主体になってスタートし、本設に移行していくその復興プロセスの中から見えてくる生活像、そこから生みだされる地域の住まいやその規範が地域で共有されて始めて、復興のまちの将来像は具体像としてイメージ化されることになる。仮設住宅と本設住宅の境目を法律によって区切るのではなく、仮設住宅を本設住宅として将来も 活用することを許容し、まちとしての機能を持ち合わせた仮設市街地から復興市街地に段階的に移行してい けるようなプロセスを通じて、まちの将来像を創造していく方が合理的である。

復興とは、まず何よりも最優先すべきは被災者の生活支援であり、そして、そのスピード感が問われる。まずは、本格復興までの中長期における「生活の簡素さ」に対する大いなる合意を形成し、時間効率性をとりわけ本格復興まで、被災者が自助・共助により生活できる【仮設都市】の構築に対してのメッセージとその生活イメージの合意が必要になる。




自らの手により、家と地区の再構築をやり終えた〝小工〟は、今後、群発する災害や紛争地区において、復興の手作り再生のリレーショナルな伝承を実現する。


〝復興〟を〝国家〟や〝都市計画〟のような「大芸術」と〝家〟や〝地区〟という「小芸術」に二分しつつも、決して対立概念ではなく、独立した〝層〟として二者を分離できない「芸術全体」という枠組を示している。小工の役割は、両者を「芸術全体」へと再融合すべく、日常生活の「小芸術」に足掛かりを求めるのである。「小芸術」とは具体的には「家造り」「家具木工」「小物雑貨」などの工芸であるとされ、日常生活において一般の民衆によって使用されるものの製作を意味する。中長期の仮設都市においては、 被災者の手作りでリメイクされた住居や整備の進まない路地空間でも、創意工夫で美しいギャラリーやミュージアムになる。この住居ギャラリーや路地裏アートは、高密度に暮らす〝被災地〟ならではの展示手法。小さなアートを路地、玄関やベランダなどに持ち込み、地区全体のアート化につなげていく。

大規模開発により防災未来都市として、アート化し、アートを増やすことはすばらしいことだが、〝被災地〟には〝被災地〟のやり方がある。小さなアートを慈しみ、それらを近隣で分けて、どんどん囲んでいく。地域の再構築は「囲碁戦」である。その過程で、近隣とのコミュニティが密になり、地区にコミュニケーションが広がり、スマイルが増えていく。安全で安心できる住みよい美しい地区やコミュニティが育てられていく。これが家と地区の原風景の再構築という、本来の復興の目的でなければならないのである。


国や行政、NPOはその下請け機関に徹底すべきである。


世界各地の相互に無関係なエリアで群発的に発生する紛争や災害という謂れのない苦難に対して、パブリックネスに同じ行動を取る。それが「スタンド」である。これから起きようとしているのはそれである。 震災復興においては、●自治体の職員不足、●労働者と建設資材不足●用地不足●住民の合意不足などと、「復興」が進まない理由をいろいろ説明されるが、この段階であれこれ国や行政の「不足」を並べ立てもしかたがない。今までのように問題の解決を国や行政の既存の仕組みに任せているだけでは進まない、一人一人が動くしかなく、『立ち上がれ」というのが全世界で起きているさまざまな紛争や災害や高齢化、貧困などの現象に通底するメッセージである。

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