若者の「愚青」と高齢者の「愚青」(1)


世代の対立から連続へ。


若者の「愚青」ーSEALDsシールズ



ヒーローが存在しない、代わりのきく誰でもいい「誰か」たちの運動体。

そこで俺らはありふれた「数」でしかない。

しかし確実に「1」であり、その「1」に計ることのできない価値が宿っている。

独りひとりが何ものにも依存せず、孤独に思考し、判断し、路上に立ち、声をあげることで、

みずから民主主義の担い手となる。

すごいことが起きている。路上で誰かが言う。

「みんな最高だ!でも、お前ら誰だよ!」

見渡す限り知らない人ばかり、みんな一人で抗議にくる。

誰かに言われたからとかじゃなく、自分の意志で。少しの戸惑いと、躊躇いを抱えて。

抗議に参加してはじめて一人じゃないと気づく。同じ怒りをもった人がこんなにいることに、

なんだか嬉しくなる。本当に社会が変わっているのを目の当たりにする。

これだけの人が、主権者であることを自覚して、責任を負って政治に参加しているってすごい。

「民主主義はこれだ!」

SEALDsはひとつの賭けだ。

勝敗を決めるのは未来の人だろう。勝つか負けるかわからないし、これが正解なのかもわからない。

先の見えない不安のなかを手探りに進むしかない。それでも賭けに出るのは、

なんの変哲もない、けれども絶対に失いたくない普通の日常、普通の生活を守るためためだ。

そして、その普通の生活を守るための賭け、命がけの闘いは、人類が歴史的に反復してきたことだ。前例はいくらでもある。

立憲主義や民主主義のという素晴らしい価値は、その前例の集積なのだろう。

俺らのやっていることは何も新しくない。

その前例をまたひとつ作っているだけだから。

人類が歴史的にやってきた闘いを、有意義に反復しているだけだから。

過去から受け取ってしまった大切なものを、未来に返すだけだから。

立憲主義や民主主義をふたたびこの手に取り戻し、その担い手になることによって。

生きうる世界に変えるために。

続けることをあきらめてはいけない。終わったら始めればいい。簡単なことだ。

何でも言いつづけよう、「よし、もう一度!」と。

そして、30年後、日本は100年間戦争をしなかった国になるだろう。

理想をかかげよう、未来のために、理想は現実になる。

俺たちはいつでも過去の理想のなかに生きている。

過去の人には生きられなかった生の継続を生きている。

そして、僕らの生もまた未来の人に引き継がれるだろう。

1000年後も心配はない、

たぶんまた誰かが始めるから。

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