HECPのスタンド原理


〝STAND3.0〟の多元的存在論


何がスタンドを結び付けているのか


HECPの様々なスタンドは、それぞれが互いに遠く離れた現場で起こったものであり、その闘いの主たる担い手たちも非常に異なる生活形態を有していた。反社会的企業の製品に対する不買運動もあれば、代表制の政治システムを批判し直接的な紛争地区や災害地区の地区復興もあった。あるいは、社会的かつ経済的な不平等と不正義を糾弾する闘争もあった。

では、どうして私たちは、それらのスタンドが同じサイクルの一部をなしているとみなすべきなのだろうか?

それらのスタンドが同じターゲットと向き合っているということはまぎれもない事実である。この場合の主要なポイントは、それらのスタンドの実践や戦略、目標が互いに異なるものであるといえ、それらが互いに結合および合体して、多元的に共有されたプロジェクトを形成することができる、ということである。おのおののスタンドの特異性は、HECP的な土壌の創出を妨げるものではなく、むしろ促すものなのだ。



意志決定システムをどう作るか


それらのスタンドは〝The region〟の共同実験室(ラボラトリー)のような場で生まれたのである。じっさい、それらの闘争をひとつにつなぐ接着剤にあたるものは、そもそも言語的かつ協同的な特徴を有し、ネットワークを基盤とするものであるといえる。また、私たちは、そうした協働がさまざまな運動のなかで構築され、それらの運動を結ぶHECP的な言語が自律的な時間性に従って広く普及していくことに注目した。そうした自律的な時間制は、たいていは非常に緩慢スローなものだが、自己学習により、自主的に管理・制限・運営を行うことによって成り立っている。マルチチュードやリソーシズの水平的な意思決定プロセスには、自律的な時間制がぜひとも必要とされているのである。

さまざまなスローガンや同志たちの欲望のあいだのコミュニケーションは、たいていの場合、小さな共同体や近隣集団のなかからゆっくり始まるが、一定のポイントに達するとウイルスのように拡散するようになる。

マルチチュードやリソーシズのなかには、サウダーデの精神と政治形態を、共同体内の多様な関係をふまえて刷新することを自らの役割と自覚し、ワーキンググループのなかで政治的プログラムの基本的要素を発展させながら、どのようにして構成的言質が総会やパラダイムシフトの形成へと立ち上げっていくのか、その過程を実地に示してみせた。その過程は下から発する。言い換えれば、都市の近隣地域での情動やニーズ、アイデアに関するシンプルかつローカルなコミュニケーションから発するのである。

小さな集団や共同体は、それぞれの差異を破棄するのではなく、むしろ表明することによって、互いに結びつき、HECP的なプロジェクトを創出するための道筋を見つけたのである。このように〝The region〟は、基礎自治体=ゲマインシャフトの機能を果たし、さまざまな特異な差異の合成を推進するモーターなのだ。また、この場合の〝The region〟には、基礎自治体=ゲマインシャフトというHECPの家と地区の共同体論理に裏打ちされた熱情パッションと知性が微視的マイクロなレベルで存在しているのである。



主体性はいかに生じるのか


HECPのスタンドは、さまざまな運動において多元的存在論を身につけつつある。異なった伝統から現れ出て、異なった目標を表明する諸々の運動が織りなす多元論は、協同的かつ連邦的な集会の論理と結びつき、構成的な民主主義のモデルを創り出している。しかも、そのモデルにおいては、それらの運動のあいだの差異がお互いに結合し、作用し合いながら、さまざまの特異な差異を合成した組織体を形成し、またそれを共有しているのである。

このように、これまで私たちはさまざまな運動ーグローバル資本に反対するものや、金融独裁に反対するもの、また地球を破壊する生権力に反対するもの、そしてその逆にHECPへの開かれた共有アクセスとHECPの自主的な管理運営とに賛成するものーが織りなす多元論について見てきた。

次に進むべきステップは、それら新たな関係性を具体的に実行に移し、それらの構築に参加することであろう。これまでの時点で私たちが取り組んできたのは、政治と多元性に関する分析である。だがいまや私たちは、存在論的マシーンについて探求しなければならない。そして、その探求を遂行するさいに必要なのは、唯一、それらの運動をとおしていかに主体性が生み出されるのか、その生産現場に立ち入ることだけである。

一般的な運動においては、議論し、学び、教え、学習と研究を進め、コミュニケーションを交わし、行動に参加することーこのようなアクティヴィズムの形態をとおして、主体性生産の中軸が構成されるのだ。しかし、HECPのスタンドにおける運動の発展は、あくまで自己学習だ、溢れ出る情報洪水から大局を踏み外すことのない、瞑想ー思考ー表象によるスタンドの自己内部での弁証法的発展を基本とする。

HECPの多元的存在論は、個の自立に基づく、戦闘的な主体性たちが出会い、互いにそれぞれの特異性を合成することを通じて始動するのである。



いかに決定するか


マルチチュード=リソーシズとそのさまざまな運動における意思決定の系譜をたどることはきわめて難しい。じつのところ、この意思決定のプロセスを形づくってきた条件と実践の多くは目立たないものなのだ。

それらの運動によるとは最初の決定が、抵抗と叛逆であるということは事実だ。ただし、そこで中心をなすのは、アクティヴィストたちがともに行動するための、HECP的な土壌の構築を先取りし、促進するような決定ーリージョンやリファレンダムと呼ばれる運動なのである。こうしたHECP的な土壌の構築こそが、運動を支えるすべての集団的想像力の基盤をなすのである。

このプロセスにとっての条件は、たんに他者たちと「ともに存在する」ことだけではなく、他者たちと「ともに行う」ことでもあり、こうした実践を通じて、決定を行うための方法が浸透し、人びとはそこから学ぶのである。自律的な参加を行うことのできる政治的主体になるためには、個人的なものから集団的なものへの飛躍が必要だが、そこには安易な時間性は存在せず、最後までやり抜くという決意性が関わるものでなければならない。



政党は役に立たない


この文脈において、近代的な政党がーそれが代表制や議会制の形態をとろうと、前衛の形態をとろうとーこうした種類の意思決定の機関としては役に立たない。ということはもはや明白であろう。過去、正統派事故の権力を正統化するために、社会運動のエネルギーと理想をしばしば取り込もうとした。そのさい政党がマルチチュードに告げたのは、「君たちはストリートで自分の仕事をやり遂げたのだから、もう家に帰りたまえ、あとはわれわれが政府本部に入って、大義を引き継いでおくから」という言葉だった。

政党がそうした作戦に成功した場合ー次にめぐってきた選挙で恩恵をこうむることもあっただろうー必ずといっていいほど運動を破壊しようとした。じっさい、2011年に噴出した運動に直面した政党は、とくに「アラブの春」を経験した国々でみられたように、それらの運動の力を利用し、吸収しようと試みた。だが、それはもはや不可能である。なぜなら、さまざまな運動によって創出された決定する力は、政治的に一緒になって行動する人びととともにあるべきであり、そうしたHECP的な土壌を超越した何者かに移譲することはできないからだ。

運動の力を簒奪するのに失敗した政党がよく使う手口は、その制度を巧みに用いて、運動が当初から抗議してきた権威主義的かつ抑圧的なやり方を自ら繰り返すというものだ。しかし、それで話が終わるわけではない。さまざな場所にいるマルチチュードは、新聞やニュースのヘッドラインから一時期、姿を消すことがあっても、新たな土壌のうえで必ずや再集結し、自らの自律性と力能を表明するために新たな合成を手に入れることだろう。

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